イオン滲透療法院

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院長の経歴

1964年8月 陰イオン滲透療法に出会う。

3年ぐらい前から、疲労なのか、姿勢なのか、はたまた動かし方なのか不明でしたが、右肩甲骨中央の縁付近に、ピンポイントの痛みが発症して、半日で背中の右半分。1日で背中全体に発熱と、猛烈な痛みに覆われました。
見かねた友人が陰イオン滲透療法の施術を行なっている目黒に、私を連れて行ってくれました。
約1時間の施術を終え、起き上がって着衣する時は、痛みがありませんでした。
1967年8月 陰イオン滲透療法機購入。

目黒の紹介をし過ぎたため、土日祝日の予約が取れなくなってしまい、致し方なく、小型療法機1台を購入して、自宅で施術を行ないました。1台ですと極板が2対で、施術に時間が掛かり過ぎになり、もう1台を購入して、自家用兼趣味として、近所の人にも施術。その後の宴会を繰り返していました。
1989年9月 川崎区藤崎に移転。

親が逝き、兄弟が独立するにしたがって、住まいが広過ぎると言う、問題が出てきました。それではって事で、マンションに引越しました。最初は狭く感じましたが、そのうちに慣れてきて、1室をイオン滲透療法の施術室にしました。が、小型療法機2台だけでは、様にならないとの結論に達し、大型機を購入し、自家用兼趣味を本格的にしました。
1993年10月 友人の友人を施術。

最初は億劫だった私も、次々に治っていくのを見ていると、だんだん悪い氣がしなくなっていました。
1994年9月 資格証明書取得。

他人様に、施術を行う事になりました。遅ればせながら民間ですが、陰イオン滲透療法師の資格をとりました。
2010年2月 川崎区池田に移転。

陰イオン滲透療法は、1927年5月に総合治療研究所を創設。と、言う様に、歴史は長いのですが、知名度がありません。この療法を埋もれさせては、人類の損失との思いがあり、また創始者と同様に、陰イオン滲透療法の施術を天職とすべく、看板をあげる事に致しました。
 2013年12月 足柄下郡湯河原町に移転。
2022年5月 南足柄市岩原に移転。


日々、他に有効な治療法が無い方々を施術しつつ、現在に至ります。